0250 ていレベル読書2 「大きく、しぶとく、考え抜く。」

表紙のタイトルの下には小さく「原田泳幸の実践経営論」と見出しされていますが、その名の通り骨太な実践経営で、刺激を欠くことない構成、強烈なインパクトの経営言語−これが本タイトル「大きく、しぶとく、考え抜く」というメッセージで、あっと言う間に読み終えます。経営論より、むしろ経営哲学、よりむしろ著者、原田さん自身の圧倒的な魅力が、そのまま経営を物語っています。

内容を読んでいると、経営改革よりも企業そのものを改革してゆく話だったので、社内内部の変革は、想像するに余り、大変だったに違いありません。今までの常識が通用せず、発想も、意識も、姿勢も全てを変えることを要求されたのですから。
経営者がかわり、新しい企業文化の育成が始まったのです。
しかし、この本を読んだ後に、何か不思議な感じが残りました。
このことを、何かと考えていたのですが、それは「アナログ思考」と「デジタル思考」の違い、使い分けのようなことです。

「デジタル」という言葉に定義があるのか知りませんが、私は「構築性」をイメージします。マニュアル、スケジュール、プラン、範囲、選択、代替、これらはコンピュータでネットワーク化され、必要な人との情報共有が簡単で、しかも瞬時に行えるようになりました。パソコンや携帯電話、今ではテレビもデジタル化され、これらを1日でも使用しない人は皆無と言って良いでしょう。

デジタル技術の発達で、仕事もプログラム化され、それに伴う思考も、いつしかリスクの種類を区分けし、それらの範囲を見積り、選択して実行します。そして目標の数字を追いかけます。論理的な考えは、もちろん必要不可欠なのですが、その思考の枠外にあるチャンスを見ることができません。

アナログ的思考では、つまり感覚的なことなので、数学的な論理思考に因われず、前提にする条件や組合せも自由で、時には範囲を設定する必要もありません。

もともと人はアナログなので、デジタルはその補完する役割で必要とされた技術だと思うのですが、いつしか合理的、論理的、数学的思考の「デジタル思考」から逃れることができません。もちろん論理的思考ができるので「デジタル」が生まれたのですが、合理的に考える習慣が身につくと、非合理的な思考は困難になります。

しかし、アナログでもデジタルにしても、人は両方を持ち合わせています。極端に言えば、現場での実践や実務は「アナログ」で、知識の獲得、勉強は「デジタル」です。もちろん両方ともたくさん持っていれば優秀なのですが、問題は思考の先にある「伝達」、コミュニケーションです。

論理思考があって初めて、相手に論理的に伝わるのですが、コミュニケーションの性質上、理解、決定するのは相手側にあって伝える本人にはありません。つまり、いくら論理建てて話をしても、相手側は論理的に理解して受けとめているかは、伝える側の本人には確認できないのです。

このことを考慮すると、外部であるお客様にはアナログ(感覚的に)で伝えて、内部の伝達はデジタル(論理的に)である方が適しているといえます。

そういえば、この著書である原田社長は、マクドナルドの前会社はアップル社の副社長でした。中はデジタル、操作は直感アナログ的に!は、まさにアップルの製品そのものです。

アナログでは誤解して伝わり易い、デジタルも論理的思考の一部の条件が間違っていると、結果も信頼できません。どちらも優位点、欠点があり、それを熟知した上で、コミュニケーションの手段として「アナログ」「デジタル」を使い分けている、そのようなことを感じた一冊でした。

「アップルはロックンロール、マクドナルドはポップス」
「過去の物差しだけで、ビジネスの質をはかるのはナンセンス」
「お客様をワォーと言わせる」
「データの正確性より、メッセージ」などなど。

これらは、この本の小見出しです。どう?