0016 求む!コミュニケーション能力?

最近よく企業の人材採用などで「コミュニケーション能力」という言葉を耳にします。募集内容にも「コミュニケーション能力の高い方」なんて書いています。しかし、これほど基準が分からない能力はありません。そもそも、相手のどういうところを、どのように測定し、またどれくらいの量をチェックして高い低いの優劣を判断しているのだろう?

コミュニケーション能力が高いと判断し採用した企業は、職場や取引先での信頼関係、あるいは健全な心理的環境に満足のゆく成果を感じているのだろうか?それは大いに疑問を持つところだ。

ゲーム理論の中での定番「囚人のジレンマ」という設問がある。簡単に説明すると刑事が二人、犯罪者が二人。刑事は犯罪者に口を割らせるために、二人を隔離して取り調べ、こう言う「相棒が黙秘している。もしお前が我々に協力して全てを自白すれば無罪放免にしてやる。逆にお前がだんまりを決め込んで、相棒が自白すれば、お前の罪はこれ以上ないくらい重くなるぞ」。

囚人はそれぞれ相棒も自分も喋らなければ、二人とも罪が成立しない可能性がある。しかし相棒が裏切った場合、自分には最悪の結果が待ち受けている。この場合自分が先に喋った方が一番安全なのか?と思案することとなる。
 
言うまでもなく、これはどのようなリスクがあり、どう考えて行動するか。というリスク管理の設問で、企業が言う「コミュニケーション能力」も様々なリスクを回避する礎となる能力であると断言します。

しかし、ほとんどの企業はコミュニケーション能力なんて言っているだけで、ルールつくりや教育は皆無、定義さえバラバラ、具体的なプランすら聞いたことがない、という現状です。

「求む、コミュニケーション能力の高い方」を見た求職者は、この会社の人事採用はコミュニケーション能力を重視している。きっと今までもそうあったに違いない。ということはこの会社の上司や先輩達はきっとコミュニケーション能力が高いのだろう、そう考えて当然です。

しかし本当に、その会社の先輩達のコミュニケーション能力が高ければ、能力の低い人が入ってきても対応できることになります。相手をお喋りにする聴く技術を持ち、感情を察知し内容の理解度は高く、論理的かつ柔軟な表現で話せ、好感度を保つ表情や声、身だしなみを忘れず、それらを支える感情的なコントロールに長けている。

仮に、企業側にコミュニケーション能力の高い者がいないので「高い方、求む」であれば、その企業はコミュニケーション能力の高さを判断できないはずでジレンマがおこります。

コミュニケーション能力を一言でいえば「信頼を築く」で、能力が高いことは、様々な考えや環境の人たちとより多く築くことができる人です。これはたいへんな能力です。