0027 めざせ「外国語」!

企業が求めるコミュニケーションスキルとして「外国語」の能力を必須とする求人も現在では珍しくありません。かなりハイレベルな要求をしている割に、条件は魅力的でない、言わば当然のように求人欄に書かれていたりします。

例えば英語なら「トイック700点以上」なんて、私からすれば「優れた能力」に思いますが、雇用条件を見ると、まるで「英語好き集まれ」と、趣味や興味のある方募集に近いものがあります。

一昔前なら英語が話せると間違いなくエリート野郎で、私も意味なく読めない英字新聞を片手に街を歩いていたクチだが、今では昔ほどの羨望さはない。企業のグローバル化や中国工場など英語だけでは間に合わず、中国やインド等のアジア圏の語学やスペイン、フランス、イタリアドイツ、ロシア、様々な外国語が必要とされる時代で、誰もが興味さえ持てば簡単に勉強できる時代になり、お手軽になった分、貴重な能力であるはずの価値は事実、低下していっている。

しかし、語学ほど幅も奥も広い学問もないだろう。きりがない。また翻訳や通訳の仕事は本当に感心する。言葉を憶え、字や発音を憶え、その意味や概念を知り、類義語の違いを知り、文法や慣用句を知り、その国の文化、歴史、慣習も勉強して、しかし机上では限界があるので、実際にその国に訪れて、あるいは住んで、多くの人と接し、街を体感し、立体的思考を体に浴びせ、あらゆる感覚を消化し、やっとできるようになるのではないか。

米原万里さん(ロシア語通訳、作家)や戸田奈津子さん(英語通訳、字幕スーパー)のエッセイを読んでいると、「訳す」というのはその他にアイディアやセンスの個人技も必要な要素で、これがないと表現は粗末なものとなり、伝わるニュアンスは半減するだろう。日本語は視覚的言語、漢字などを見て意味の違いを識る。例えば「橋」「箸」「端」など。一方、英語は音声的な言語、発音で意味の違いを識る。(もちろんこれらは言語比較の一つの要素であって、支配的な理論ではない)では、数字を使った英語のジョークを日本語にどう訳すか?ロシア語のスピーチの途中、突然ラテン語の格言を言ったらどう伝える?

翻訳家や通訳のレベルはさておき、語学の勉強や上達、そしてその能力を維持するには、継続的に時間を割く必要も生じてくる。他のどのような学問や知識にしてもそうなのだが、語学は「他の勉強プラス語学」となるので難しい。しかし、そもそも外国語の勉強は他国人、あるいは他国文化との交流が前提なのだ。人と接して会話をしたい、というエネルギーがなければ、何のための勉強か?