0060 謎!(ディ −10)

国語、算数 理科、社会、学生時代はテストも評価もこの限られた学力のみで判断されていました。今もさして変わっていないようです。この目覚ましく変容してゆく世界で、なぜか教育だけは殆ど変わらぬ姿で残っています。
 

しかし、社会人になると、この基礎学力という評価は対象になりません。わかりきったことですが、私はこのことを奇異な感じがしてなりません。
社会人のテスト、その中でも転職、いわゆる中途採用時にテストがあるとすれば常識的なこと、これは主に新聞を読んでいるとできる・・・・新聞もしっかり理解しようものなら、相当の知識が必要ですが・・・・くらいのもので、中規模では少々、小規模、零細企業ではテストらしいテストはありません。
 
では、企業の採用はいったい何を評価するのか?応募者は何をどうアピールすれば彼らの評価を勝ち取ることができるのか?それは、ご存じの通り「謎」です。どうして謎かというと、簡単に言えば「正解」がないからです。
 

企業はあなたの応募書類を見て落とし、別の誰かを採用したとします。その採用した者が期待通り、若しくはそれ以上の仕事をすると確信したとしても、何の保証もありません。それどころか、採用しても数日後には応募者から断れるかもしれません。また、本当は採用を見送った多数者の中に、実は予想以上の働き、実力を持った人がいなかったかどうか、それは誰にも分かりません。そして、採用した者が期待通りの働きをしても、採用を選考した企業側に評価能力があったのか、実は応募者の対応能力が高かった結果なのか、それも詳しくは分かりません。ですから、落ちたからといって落胆する必要は何もないのです。
 
この「謎」を、少しでも排除するために企業が求めるものが、運転免許や簿記検定、宅建主任などの資格であったり、同じ職種や業種、同規模企業、ポジションなどの経歴で、簡単に能力の担保ができる部分でしかありません。
 企業と求人者の間にあるこの「謎」。これを解消とまではいかなくとも、謎の範囲を狭くするような役割を果たすことが、キャリア教育の側面でもあります。
 
キャリアデザインはあくまでも個人的な選択や展開としながらも、最近は企業の人事部や育成部がキャリア教育を推進されていることも珍しくはありません。こういう人材が欲しいという企業、こういう仕事がしたいと思う個人、この問題がある限り、キャリアの考え方は人生に外せない、意識するかしないかで大きく展開が変わってゆく可能性を秘めた勉強です。