0402 不合理なキャリア教育

自分の職業、仕事について長期的に、あるいは将来について生活を含めて考える。このようなことを学問的に捉えたものが「キャリア教育」で、目指すべき自己の職業、仕事を継続的に構築することを「キャリア・プラン」「キャリア・デザイン」と呼んでいます。
これらキャリア教育やプランに関する本を読んでいると、よく疑問に思うことがあります。簡単に言えば「エリート」を前提に書かれているのではないか、と。

キャリアは「履歴」と訳されていることが多いですが、それならキャリア・プランやキャリア・デザインを耳にする前に高校や大学、それ以前の小学、中学などの学歴も問われることになります。一流大学を出て、一流企業や上場企業に入社して、将来的な職歴を構築してゆく。もちろん、エリートの方もそうでない方も自己の履歴の構築は必要です。しかし、順風満帆に描いた道のりを進み、たいした不満もなく出世した方には、キャリア教育の成果であるとは言い難く、むしろ殆ど関係ないのではないでしょうか。本当に必要なときは、将来について不安を抱き、自分がどのような職業をまっとうしたのか判らず、就職や転職で躓いた時にこそ活用できるもでないと価値がありません。

キャリア・プランでは職業分析や、自己の持つ能力、あるいはこれから獲得すべき能力を、年齢を通じて紹介し、プランの参考にできるような理論、情報が体系的に述べられています。考え方としては学ぶべきことで、決して無駄ではありません。ただ、大きな欠点としては、多くの参考とすべき書籍が、結局のところキャリア・プランはプランを建てても、その通りに事を運ぶことは困難で、要するに出たとこ勝負にならざるを得ないとされています。

このことは、誰もが想像に余ることで、前回のブログで述べた「選択権」、希望する就職先に採用されることは、いくら素晴らしいキャリア・プランを建てたところで、何の約束もありません。当たり前の話です。キャリア教育そのものが、そういった現実に困難な局面に陥ったとき、有効な手段を教えてくれるわけではないのです。

もう一つ、同様の問題として非正規雇用者や中小、零細企業等の低所得者の方が、転職を余儀なくされる環境的なリスクが高く、この方たちにキャリア教育は浸透していません。この有意義な問題、就職や転職で希望の勤め先に採用されない、されにくい、そして人生の長期的なリスクの改善方法としてのキャリア教育が有効でないとすれば、有効であるように構築するしかありません。

つまり、キャリア・プランが人生において理想の職業構築とするなら、希望する就職先にすべて採用され、好きな仕事に就けることを意味します。夢のような話で、このような方がいるのでしょうか?
もっと現実的に構築するのであれば、同時に転職等で採用されなかった場合の「最悪の想定」もプラン建てしなくてはなりません。これは実際のところ失敗から学ぶことが多いと思いますが、失敗学にしても簡単ではなく「自分に何が不足していたのか?」を自己分析して補正し、また自分の優れた部分を自覚し、そこを相手にアピールして認知してもらわなくてはいけない。それでも希望する仕事を獲得できるかについて、どの程度の効果があるかは分かりません。しかし、この方法しかない。このことを緻密に根気よく実践することによって、採用される確率は、確実に高くなります。

自己の現在持つ能力を知り、これから獲得すべき能力を知り、転職に関するリスクを予測し、これらを武器にチャレンジするのです。
公開するために編集したテキストの概要については次回に案内をしますが、その職業、仕事が持つ独自の専門性や経験的ノウハウについてではなく、どの仕事に共通する基礎的能力を主として編集しています。

★総合案内ビジネスていレベル研究所http://d.hatena.ne.jp/sotton+sogou/
★当ブログ0231免責事項をお読み下さい。→http://d.hatena.ne.jp/sotton/20130102