0421 転職のスキル、準備編18 自分の能力を知る

= ?自家用車の点検、整備(テキスト目次2)
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幼稚園では、歌にお遊戯、絵を描いたり、それが小学校に入ると国語、算数、理科、社会といきなり学術的になります。この変化はかなり激変なのですが、幼かった私たちは以外にすんなりと、このお勉強を受け入れ学習してゆきます。

このような区分、国語、算数・・・は高等学校まで同様の分類で学問が進み、大学に入るとまた一変します。文学部、経済学部、法学部など。より社会の問題解決や、社会的役割へと近づいた学問に移り変わります。別の視点から見ると、高等学校までの教育は、言わば紙面上の知識の獲得で、大学での学問は、そこに解釈や価値観などの個人的な思考、思想が関与し、より複合的な教養が必要とされ、時には学術上や歴史上の検証でその地まで足を運び、実験や観察と言った行動が伴う学問です。

社会学(Sociology)という学術上の分類は、まだ新しい学問ですが、その社会学では大学の学問の分類を次のように区分しています。
人文科学 → 「哲学」「文学」「歴史学」「言語学
社会科学 → 「法律学」「政治学」「経済学」「経営学」「教育学」「心理学」「社会学
       「文化人類学」「地理学」
自然科学 → 「工学」「理学」「農学」「医学」「歯学」「薬学」

基礎学力とよばれる高等学校までの教育は、コンピュータに例えるとCPUの処理速度を高めるトレーニングと言えそうです。数学などの計算や、論理的思考を高めるのは年齢的に18歳くらいまでとされていて、言語の仕組みを自然に理解して、記憶してゆく能力は10歳前後までで、この時期までに母国語以外の言語を学ぶ環境にあれば、多言語を話せるようになると言われています。例えば、母親が日本語、父親が英語、姉がスペイン語、兄が中国語というような日常的環境があれば、6カ国程度は喋るようになると言われています。その後は言語の仕組み(文法や慣用句)は論理的に理解してゆくことになるそうです。 

国語や算数は学術上で学問が分類され、大学での学問である哲学や経済学は社会学上の分類で学問を学び、そして試験や論文などで生徒の能力を計られます。しかし、社会に出て仕事での能力を計られるとき、これらの学術上の分類や、その科目の試験の点数や能力を重視する企業は皆無です。別の能力や経験が求められ、それは期待される職務として有効であるのか、そして、その能力を相手にどのようにアピールするのか?も必要な能力として高めることが重要です。

社会人が働く上で、国語や算数のように試験などによって能力を計るものがあるとすれば、それは「資格」です。資格は対象になる分野と、そのレベルの範囲が定められていて、試験に合格することによって取得され、その専門分野での能力を担保する役割があります。従って、資格取得は相手側に自分の能力を知らせる、非常に理解し易い武器と言えます。

国語に算数、哲学に経済学、そして資格、これらは試験などによって能力を計られ、その数値が優秀であるのかどうか、簿記3級より簿記2級の方が、簿記という分野に関しては高いと評価されます。簿記の場合は東京商工会議所が認め、東大卒であれば東京大学がその能力を認めたことになります。この資格取得や学校歴などの優秀であるレベルは、能力を認める国家や主催機関があるので、第三者にも能力の確認が簡単と言えます。しかし、社会人が日常生活や仕事での能力が、どのようなものであるかと問われても困るのではないでしょうか?

「はじめに」の項で「愛嬌」や「気配り」も一つの有効な能力です。と書きました。その通りです。無口でぶっきらぼうより、愛嬌や気配りがあった方が、相手側から好感を持たれ、コミュニケーションでの信頼を得る時間が短縮されます。様々な場面でこのような「性格」にも受け取れる能力が、実は他人と比較した時に有利といえることがあります。
ただし、このような能力は方法論があって教科書を参考に学ぶものではありません。まわり環境や自己の意識によって育まれるもので、それが結果的にトレーニングや習慣化されて身についた能力と言えます。

しかし、このような能力を他人から評価され、かつ自分自身で「能力」と認識することは、普段ないのではないでしょうか。それから「評価」に対しても「気づき」や「感覚的」なものとなるので、基準や数値化がなく一定していません。このように、社会人が仕事に求められる「能力」とは、必ずしも正しい根拠となる分類があるわけでなく、また、点数をつけるような客観的な評価方法も確立していません。従って、自分にどのような能力がどの程度あるのかについて、曖昧にならざるを得ません。

ここでのテキストの役割は、どのような種類の能力があるのか。その提供と簡素な解説で、自己にそれらの能力が、どの程度存在するのかは、自分自身で判定するしかありません。
能力の判定は「方法」ではなく「作業」となります。これは転職やキャリアプランを考えるときに必ず行う作業で「自分の棚卸」とか「人生の棚卸」と呼ばれています。

この作業は、過去に遡り、仕事やプライベートの様々な出来事を思い出して、あるいはその瞬間の場面を思い出し、その時に自分はどのような行動を取り、あるいは発言し、どういった結果となり、それらはどのような能力によって成されたのかを確認する作業といえます。

その作業を行う前に、まずは仕事で必要とされるスキルを大雑把に紹介します。

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